完全化学合成ウイルスレプリカを用いたがんワクチン

完全化学合成ウイルスレプリカを用いたがんワクチン

安全で効果的な革新的ワクチン創製の新技術

2023-6-22生命科学・医学系
理学研究科教授深瀬浩一

研究成果のポイント

  • がんの目印(がん抗原)と免疫を活性化する因子(アジュバント)を組み込んだウイルスレプリカを化学合成し、これががんワクチンとして有望な特性を示すことを明らかにした。
  • 化学合成ワクチンは高い安全性を持つものの、免疫系の活性化が困難で有効性が限定的であったが、ペプチドと脂質からウイルス様の集合体を作ることで、効果的に免疫システムを活性化することに成功した。
  • 安全で、効果的な革新的なワクチン創製への展開が期待できる。

概要

大阪大学大学院理学研究科の大学院生 伊藤啓太さん(博士後期課程)、真鍋良幸助教、深瀬浩一教授らの研究グループと鳥取大学大学院工学研究科の大学院生 古川寛人さん(博士後期課程)、松浦和則教授らの研究グループは、新規ワクチンプラットフォームとして、がん抗原とアジュバント(免疫賦活化剤)を搭載したエンベロープウイルスレプリカを調製し、これが有望ながんワクチン候補となることを発見しました。

これまでに、松浦和則教授らの研究グループでは、ウイルス骨格を形成するペプチドを集積させて人工的なウイルス様の粒子を形成し、さらに、これを脂質膜で覆うことで、エンベロープウイルスレプリカを調製できることを報告していました。本研究では、このウイルスレプリカに乳がん抗原(CH401ペプチド)とアジュバント(α-GalCer)を組み込んだワクチン(CH401/α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカ)を調製しました。このCH401/α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカをマウスに投与したところ、CH401を認識する抗体の産生を強く誘導し、さらに産生した抗体は乳がん細胞を認識し、これが効果的なワクチンとして機能することが明らかになりました。本研究は、完全化学合成により、ワクチンを精密に設計することに成功した先駆的な例で、効果的なワクチン開発のための新たな道を開くものです。

本研究成果は、2023年6月21日(水)に米国化学会誌「Journal of the American Chemical Society」(オンライン)に掲載されました。

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図1. 抗原/アジュバント搭載がんワクチン

研究の背景

がんワクチン療法は、手術が不可能ながんや転移したがんでも治療でき、しかも再発を抑える理想的な治療法になり得るもので、期待を集めています。しかし、がん患者は免疫不全を起こしていることが多く、また、がんが免疫回避機構を備えていることもあり、高い効果を持つがんワクチンの開発は困難で、現状では、標準的な治療法としては確立されていません。がんワクチンでは、がん細胞が特異的に持つ分子(がん抗原)を目印として利用し、それに対する免疫反応を誘起します。このがん抗原として、化学合成が可能な低分子ペプチドの利用は、安価で安全なワクチンの創製につながることから、古くから検討されています。一方で、その免疫原性(抗原が抗体の産生を誘導する性質)は低く、通常、担体(他の物質を固定する土台となる物質のこと)への固定化が必要になり、効果的な担体マテリアルの開発が期待されています。

一方、これまでに我々は、トマトブッシースタントウイルスの内部骨格形成に関与するβ-アニュラスペプチド(24アミノ酸)を化学合成し、これが自発的に集合し、ウイルス様の構造体を形成することを見出していました。さらに、この構造体を脂質二重膜で覆うことで、膜で覆われたウイルス様の粒子(エンベロープウイルスレプリカ)を調製できることを見出しています。この材料の特徴は、タンパク質やペプチド、核酸などのさまざまな成分を自在に搭載できることです。さらにはエンベロープ膜の脂質成分の構造を変えることで、粒子表面の電荷や安定性なども調節できます。すなわち、このエンベロープウイルスレプリカは、物理的特性(サイズ、安定性、電荷など)を自在に制御可能で、さまざまな分子を搭載可能な自由度の高いナノ材料と言えます。

本研究では、上記のエンベロープウイルスレプリカをがん抗原を担持する担体として用い、その効果を検証しました。すなわち、乳がん抗原であるCH401ペプチドとアジュバントであるα-GalCerを組み込んだエンベロープウイルスレプリカ(CH401/α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカ)を調製し、そのワクチンとしての活性を評価しました。

研究の内容

まず、CH401/α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカを合成しました(図2)。前報に従って(Chem. Commun.、 2020、 56、 7092−7095)、 CH401を連結したβ-アニュラスペプチドを合成し、これを自己集合させることで、ウイルス様構造体を構築しました。さらに、これを正電荷を有する脂質で覆いました。この際、脂質成分にα-GalCerを混ぜ込むことで、エンベロープ膜にα-GalCerを搭載しました。その結果得られたCH401/α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカを電子顕微鏡で観測したところ、想定通り、ワクチンマテリアルとして好ましいとされる100 nm程度の集合体が観察でき、しかも脂質二重膜によるエンベロープ化、粒子表面へのCH401ペプチドの提示も確認できました。加えて、このエンベロープウイルスレプリカは、β-アニュラスペプチドのみからなるウイルス様粒子(骨格のみ)や、周りの脂質のみからなるリポソームと比べて、格段に高い安定性を示すことも確認できました。さらに、エンベロープウイルスレプリカが免疫細胞に速やかに取り込まれることも、確認できました。

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図2. CH401/α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカの調製とその電子顕微鏡像

続いて、得られたCH401/α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカのワクチン活性を調べました。ここでは、今回のワクチンのどの成分が重要であるかを厳密に評価するため、以下のV1~V5のエントリーを準備しました(図3)。

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図3. ワクチンエントリー
V1: CH401/α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカ
V2: CH401搭載エンベロープウイルスレプリカ(α-GalCerなし)
V3: CH401搭載ウイルスレプリカ(α-GalCer、エンベロープ脂質無し)
V4:α-GalCer搭載エンベロープウイルスレプリカ+CH401ペプチド(CH401を搭載せずに混合)
V5: CH401/α-GalCer搭載リポソーム(内部のウイルス由来の骨格無し)

これらのワクチン候補をマウスに2週間おきに4回投与し、CH401に対する抗体の産生量を比較しました(図4)。その結果、CH401を搭載したエンベロープウイルスレプリカ(V1、V2)において顕著に高い抗体の産生が確認できました。興味深い点は、脂質で覆わなかったV3や内部のウイルス由来の骨格を利用しなかったV5よりも、V1、V2が格段に優れていたことです。また、V1、V2により誘導された抗CH401抗体が乳がん細胞に結合することも確認しました。さらに、V1とV2について詳細に比較したところ、V2においてはアレルギー性の免疫反応が誘導されているにもかかわらず、V1においては、α-GalCerの効果でその反応を抑制できていることも分かりました。このように、今回の抗原/アジュバント搭載エンベロープウイルスレプリカが極めて優れたワクチン材料であることが証明されました。

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図4. V1-V5で誘導された抗CH401抗体の量

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、安全で効果的なワクチンの創製が期待されます。生体材料をそのまま用いる生ワクチン、不活化ワクチンは効果的に免疫反応を誘導できますが、同時に副作用も大きいという問題点があります。一方で、ワクチンに必要な成分を抽出して利用する成分ワクチンは、安全性は高いものの、その効果は限定的である場合が多いです。今回のエンベロープウイルスレプリカワクチンは、完全化学合成による調製が可能で高い安全性が期待できます。一方で、ウイルス様の構造体を形成することで、きわめて、効果的な免疫反応の誘導に成功しました。すなわち、我々の開発した抗原/アジュバント搭載エンベロープウイルスレプリカは次世代ワクチンマテリアルということができ、今後の研究を通して、がんや新興感染症に対する革新的なワクチンの創製につながることが期待されます。

特記事項

本研究成果は、2023年6月21日(水)に米国化学会誌「Journal of the American Chemical Society」(オンライン)に掲載されました。

タイトル:“Antigen/Adjuvant-Displaying Enveloped Viral Replica as a Self- Adjuvanting Anti-Breast-Cancer Vaccine Candidate”
著者名:Ito, Keita; Furukawa, Hiroto; Inaba, Hiroshi; Ohshima, Shino; Kametani, Yoshie; Maeki, Masatoshi; Tokeshi, Manabu; Huang, Xuhao; Kabayama, Kazuya; Manabe, Yoshiyuki; Fukase, Koichi; Matsuura, Kazunori
DOI:https://doi.org/10.1021/jacs.3c02679

なお、本研究は、日本学術振興会(JSPS)科研費(20H05675, 20K05727, 20H04709, 21H05074, 22H02199, 21J21251)、科学技術振興機構(JST)CREST(JPMJCR20R3, JPMJCR17H1)、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)(20ek0109444h0001, 20fk0210079h0001、 Japan Initiative for World-leading Vaccine Research and Development Centers)、創発的研究支援事業(JPMJFR211Z)、積水化学工業株式会社「自然に学ぶものづくり」研究助成などによる支援を受けて行われました。

参考URL

深瀬浩一教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/0bb19c8a60acb245.html

SDGsの目標

  • 03 すべての人に健康と福祉を
  • 09 産業と技術革新の基盤をつくろう

用語説明

アジュバント

免疫賦活化剤。抗原性補強材。通常、ワクチンは抗原だけでは十分な免疫反応を誘起することができず、アジュバントと混合投与することで、有効に機能する。

がんワクチン

がんの目印となる成分(がん抗原)を利用したワクチンで、がんに対する免疫反応を誘起し、がん治療および予防への効果が期待できる。

エンベロープウイルス

ウイルスは核酸の周りをキャプシドと呼ばれるタンパク質の殻でおおわれているが、その殻の周りが脂質二重膜でおおわれているものをエンベロープウイルスという。 コロナウイルスやインフルエンザウイルスはエンベロープウイルスの一種である。

CH401

乳がんに特異的に発現するHer2タンパク質の部分配列ペプチド(20アミノ酸)で、免疫原性が高いことが分子シミュレーションにより報告されている。乳がんに対するペプチドワクチンの抗原として有望である。

α-GalCer

抗原提示細胞表面に発現するタンパク質CD1dに結合する免疫活性化因子。アジュバントとしての利用やがん免疫療法への利用が精力的に検討されている。