StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

「現場にいることが、純粋にうれしい」

 昨夏の東京五輪では卓球や空手、バドミントン、野球などさまざまな競技を担当し、金メダル獲得の瞬間も写真に収めた。劇的な経験となった初の五輪撮影は「財産」にこそなったが、特別な驚きは感じなかったという。その心は「一流に限らず、アスリートは皆一生懸命。五輪のように大きな大会でなくても、いい瞬間はある」。

 特定の選手に入れ込むのではなく、懸命に躍動する全員に心ひかれる。子どもと同年代の若い選手たちのプレーに感動して涙することはあるが、被写体への向き合い方は常にフラットだ。だから「現場にいる、ということが純粋にうれしい。好きなことに100%時間を割けていることが喜びなんです」。

力強い「船」と「高校野球」が原点

 西村さんにとっての原点は「力強さ」に憧れた二つの事柄だ。一つ目は、生まれ育った神戸に寄港する大型の外国旅客船。人工の巨大構造物に「モノだけれど、人間的な強さを感じた」。高校生で両親からカメラを買ってもらうと船の写真を撮ることに熱中した。二つ目は高校野球。小学生のころから「気迫あふれる球児たちが格好良く見えた」。大阪大学工学部に入ると本格的な機材を購入。カメラを担いで甲子園に赴くようになるのは、自然な流れだった。大学1年の時、初めて応募した高校野球のフォトコンテストで入選し「のめり込んでいきました」。人との会話が苦手で「伝えたいことにフィルターが掛かる」感覚だっただけに、そのままの気持ちを込められる写真は最高のコミュニケーションツールとなった。

 一方で、船への憧れは街づくりやインフラ整備といったスケールの大きな仕事を担いたいという夢へと発展した。学業や国家公務員の試験勉強と並行して、春、夏は高校野球(甲子園)、秋、冬はラグビー(花園)。1人で黙々と写真を撮り続けた。次第に芽生えたのは「写真を仕事にしたい」という思い。だが、二つの夢は、同時に追えない。「カメラは趣味でもできるが、街づくりは仕事じゃないとできない」。気持ちに自ら区切りを付け、運輸省(現・国土交通省)に入った。

くすぶり続けた「プロ」への思い

 運輸省では多忙だったが、週末には秩父宮ラグビー場などで写真を撮り続けた。割り切ったつもりが「プロになりたい」という気持ちは、胸の奥でくすぶっていた。転機は2001年。アフロスポーツの写真展に足を運んだ。「ああ、ここ(のチーム)に入りたいな」。心を揺さぶられる写真が並んでいた。05年にカメラマンの募集を見て、応募。チームを率いるカメラマンで、株式会社アフロの青木紘二代表と面談する機会に恵まれ、意気揚々と会社を訪れた。だが、言われたのは「やめたほうがいい」という言葉だった。

 当時、既に結婚し、子どももいた。だから「今日は説得するために呼んだ」のだと言われた。だが、諦めはつかなかった。2時間にも及んだ面談の末、週末にボランティアで写真を撮ることになった。プロカメラマンたちと同じ場所からの撮影。「これで諦めると思われていたんでしょうが、余計に諦めきれなくなって(笑)。やればやるほど面白いと思うようになりました」。自分の撮った写真が、ウェブサイトや雑誌に使われることに大きなやりがいを感じた。

 アピールはずっと続けた。青木代表にも「奥さんを連れてくれば」と、家族の許可を得れば認めてもらえるところまできた。だが、妻に何度話をしても首を縦には振ってくれない。最後は「とにかく代表と会ってくれ」と頼み込んで、内定にこぎ着けた。最初の面談から10年が経っていた。人生の折り返しを意識した中で、このままではプロになれないという危機感が西村さんを突き動かした。


「生涯、プロカメラマン」で家族に恩返しを

 諦めず夢を追う姿は、多くの人に希望を与えるが「転職は華々しい部分ばかりじゃない」と、くぎを刺す。「神戸に家族を残して東京に単身赴任。奥さんは子どもを育ててくれて、収入が減ったから働いてくれている。だからこそ、今の自分がある。家族には感謝しかない。いつか恩返ししたい」。口をつくのは、周囲への感謝の言葉ばかりだ。

 恩返しの方法を問われると「ちゃんと稼ぐこと、かな?」と照れ笑いを浮かべた。半分冗談だが、本当の思いでもある。「お金だけが大事ではないけれど、お金じゃないと表せないものもある」。売れる写真を撮る必要に迫られるプロに転身したからこそ至った境地だ。

目標は「生涯、プロカメラマン」。「アマチュアは体が元気であればできる。でも、仕事にするには需要が必要。厳しい競争の中で、死ぬまでプロとして続けていきたい」

遠回りをしたのかもしれない。だが、国家公務員として全国を飛び回って見聞を広げたことは「今につながっている」と断言する。今の仕事にも、葛藤はある。でも、ため込んだ写真への情熱は、50歳を超えても若手に負けない。今日も大きな機材を抱え、大好きな現場でシャッターを切り続ける。

ファインダー越しの「力強さ」に心が動く 46歳での転身。妻の覚悟へ恩返しを

● 西村 尚己(にしむら なおき)

ファインダー越しの「力強さ」に心が動く 46歳での転身。妻の覚悟へ恩返しを

兵庫県神戸市出身。1994年大阪大学大学院工学研究科修了。同年に運輸省(現・国土交通省)に入省し、空港や港湾などインフラ整備に携わる。大学時代からアマチュアカメラマンとして活動し、コンテストの入賞歴多数。2016年に株式会社アフロに入社。アフロスポーツに配属となり、東京五輪や北京冬季パラリンピックなど多くの大会でさまざまな競技の撮影を担当。スポーツ以外の撮影にも精力的で、公務員時代の経験を生かし交通やインフラ施設を撮影することがライフワーク。趣味も「写真撮影」。

[instagram]

https://www.instagram.com/naoki_nishimura.aflosport/(アフロスポーツ公式・個人作品アカウント)

(本記事の内容は、2022年9月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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