関 純子さん(1988年3月人間科学部卒業)



▲ ホームカミングデイの講演会で司会をする関さん

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  関西テレビの「顔」であり、30年以上お茶の間を和ませる人気者として活躍しているアナウンサー、関 純子さんは、大阪大学人間科学部の卒業生。関西ではおなじみの存在となっている一方で、本学のさまざまな行事の司会などでもお世話になっています。4年ぶりに完全復活した11月5日のホームカミングデイでも司会を務めていただきました。2012年の第7回ホームカミングデイでは「阪大と私」と題し学生時代の思い出を中心に講演いただき、2013年以降は、ほとんど毎回司会を務めてくださっています。大役を終えて「皆さんが講演などを真剣に聴講される姿に接し、本当に感動しました」と感想を語っていらっしゃいます。
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ESSで学部越えた多くの仲間と

  大阪府豊中市出身の関さんは、子どものころからの「地元の国立大学に進学したい」との初志を実らせ1984年、大阪大学人間科学部に入学。まじめな学生として、もともと興味のあった心理学を中心に学ぶ一方、サークル活動や文化祭にも積極的に参加して、学生生活を楽しみました。ESSクラブでは、「当時100人以上所属していて、学部を越えていろいろな人と接することができました。英語がそれほどできたわけではありませんが、夏の合宿や英語劇で舞台に上がったことは良い思い出です」と振り返ります。


▲ 小学生のころ、ピアノを習っていた。 小・中・高校とコーラス少女だった

教育現場で実践的な指導受けられた

  第一外国語(英語)、第二外国語(フランス語)とも、初めて外国人の先生に習うことができ、その人となりや文化的背景も深く印象に刻んでいます。3回生からは教育技術学講座の水越敏行教授に指導を受けました。「学生のことをよく考えてくださる先生」。金沢に研修に行った時には、ご実家に泊めてくださったことも、いい思い出として残ります。授業内容は実践的で、水越先生が小中学校の先生に直接指導されながら、より良い教育手法を導いていかれる姿に学生として直接接することができました。社会や教育現場と繋がる大学の役割を実感したそうです。

 大学でよくやったKJ法(川喜田二郎先生)が、頭の中にある考えをまとめるのに、今もよく役立っています。話し合いの場で、複数人の意見をまとめるときにも使っています。

 大阪大学については「自由な校風で、のびのびと大学生活が送れ、友人にも恵まれました」と振り返り、今も母校愛は強いです。さらに「人間科学部は、変人学部と言われるほど個性的で面白く、自分の意見をしっかり持っている人が多かった。良い刺激を受けました」とのこと。人科の卒業生は皆さん、同意見でしょうか?


▲ 卒業式を終えて、恩師の水越敏行先生と記念写真を撮る関さん(左端)

関西テレビで今も幅広く活躍、レクリエーション介護士も

  もともとアナウンサー志望だったわけではないのですが、当時の人気番組「なるほど!ザ・ワールド」が好きで、リポーターに憧れていました。関西テレビに入社した先輩からアナウンサーテストの案内を受けたことをきっかけに、難関の入社試験に挑戦して見事合格。「私の天然ボケぶりが、面接試験で受けたのかもしれません。でも、そのバックグラウンドに阪大という素晴らしいブランドがあればこそ」。88年の卒業と同時に関西テレビに入社しました。

 新人時代の「お天気お姉さん」に始まり、番組司会やリポーター、ニュースやナレーションなど多彩な分野をこなされました。人気の生活情報番組「痛快!エブリデイ」では落語家・桂南光さんと約15年間にわたり司会を共演。南光さんの印象として「とにかく明るく楽しい人。失敗してもクヨクヨしない生き方を教えてもらい、前向きに進めた15年でした」と振り返ります。

 現在も「関純子アナのゴーゴー体操」「カンテレ通信」「上方漫才大賞」「旬感LIVEとれたてっ!」(ナレーション)など多彩な番組を担当。延長線で「介護現場に笑顔を届け、生きがいをもちながら高齢者さんたちに生活していただきたい」という思いから、レクリエーション介護士2級の資格を取得しました。
 「ゴーゴー体操」にはその要素が盛り込まれ、さらに各地の高齢者施設ヘの訪問活動も。ブログ「ママアナ関純子がゆく」も執筆されています。深夜と早朝のニュース、天気予報を届ける月2~3回の宿直勤務もこなします


▲ 新人のころ「お天気お姉さん」がスタートだった

「壁にぶつかったら、低空でいいから飛行続けて」

 同期入社の男性と結婚して男女2人を出産。1年ずつ育休をとりながら、家事・育児に仕事もこなしました。でも、よく発熱した子どもの世話を、両方の親が手伝ってくれたからこそ、両立できたと感じます。今は企業の育休制度なども改良されていますので「育児や仕事の両立で壁にぶつかったら、低空飛行でなんとか飛び続けてみてください。100点満点でなく落第ぎりぎりでいい。私は定年近くになって、仕事を辞めなくて良かったと今つくづく思います」と語ります。

 華やかに見えるアナウンサー業ですが、厳しい側面も多く、自己管理能力が不可欠です。かなりの気力体力も求められます。昔は体調の悪いときでも放送に穴をあけることはできず、解熱剤を使って出演したこともあります。

 ホームカミングデイには、父母を毎年のように連れてきていました。5年ほど前に他界した父から、そのたびに「母校のために尽くしなさい」と背中を押してもらったそうです。


▲ホームカミングデイの交流会で司会をする関さん


▲ホームカミングデイ交流会でインタビューをする関さん(左端)

諸先輩に感謝、「阪大卒は社会でも生きる」

 「大阪大学卒業というのは、社会に出てからもプラスになったことが多い」と感じます。そして「諸先輩方の功績や信頼のおかげ」と感謝しながら、「自分もそのバトンをつなげられるよう、ありたい」と、後輩に温かいまなざし。そのうえで、「辛いことや思い通りにならないことは多いと思いますが、しなやかに乗り越えて行ってほしいです」とエールを送ります。


▲大学会館・来賓室で取材を受ける関さん(左)

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